理解とは因果であると思う。人の表情や行動、言葉などの現実空間に隆起する意思伝達の波紋みたいなものを手がかりに人は人を理解しようとする。彼らは各々の経験を経て作られた独自の因果論を元に目の前の現象をそれに当てはめていく。それは小さい時にみた数々の絵本の蓄積から形成されたものかも知れないし、夢の中で老人に言われた一言かも知れない。個々は生物的には独立しているが、今生きる全てのものは同時代を生きているわけでいつの間にか重なってしまうハイコンテクストな因果論なんかもあったりする。それが共同体の意識を無意識のうちに形成し、いつしか1人の意識が周りの意識と呼応し合い波紋を作る時もある。まるでスイミーのように。そんな共同体の意識にアプローチしていくのが美術家の仕事だとも思う。
人とのコミュニケーションをとる中で呼応し合う、ハイコンテクストな因果論同士が交わる瞬間を情景的に演出できないかを考えて作ったのが今回の作品だ。今回の作品は取手の山を舞台に行われるパフォーマンス作品だ。山の上には隆起した私の下半身がある。そこから麓の沼の中に建てられた小屋へと道が続いており、鑑賞者はその道をゆっくりと進んでいく。小屋の中心にはマジックミラーが置いてあり中にはタイマツを持つ私の姿が見える。部屋の明るさよりミラーの中の明るさが上回った瞬間、つまりタイマツが勢いよく燃え始めた瞬間私の姿が見えてくるのだ。ミラー内が二酸化炭素で充満し自然に炎が消えるまでタイマツがひたすら燃え、徐々に内と外の温度差によってミラー内がもやに覆われるようになり私の姿が見えなくなってくる。
2011年3月11日14時46分、当時小学生だった私は校庭で友達と遊んでいた。夕方ごろ楽しみにしていたテレビ番組を見るため家に帰るが、テレビでは黒い大量の濁流が家々を蹂躙している映像が流れていた。切迫したアナウンサーの声とは裏腹に当時の私にとっては見たいテレビ番組が見れないことの方が大問題だった。生きているということが自ら命を断つ行動をしない限り寿命が続くまで持続すると当然のように思っていた当時の私にとって、なんとなく目の前のライブ映像は実感のない遠い場所で起こっている何かでしかなかった。時は流れ大学進学とともに鹿児島から大学がある茨城県取手で作品を制作することとなる。取手は福島から近く3.11以降、原子力発電所の事故で流れ出た放射線物質が風の影響で取手の方まで流されてきたという噂をどこかで聞いた。当時の取手校舎の地面は放射能が飛散しないためにブルーシートで覆われていたらしいのだが、最近越してきた私にとってはとても想像ができない光景だった。夜取手の沼の上で作品を制作していると不気味な動物の鳴き声とともにあらぬ妄想をしてしまう。風で運ばれてきた放射能は今どこにいるんだろうか、もしかしたら全てはこの沼に流れでて蓄積し、作業をする今の今まで私は汚染され続けているのではないかと。そういう怖さに浸かりながら作業していた。形の想像できないものへの小さな恐れは心の奥でゆっくりと増殖を繰り返し、やがて身体の反応として表出する。そういった制作時の体験は今回の作品に確実に影響を与えている。
私の下半身から上半身を結ぶ山道は鑑賞者にとってもしかしたら私のお腹の上を歩いているかもしれないし、山という抽象化された身体の細胞として歩いているのかもしれない。
「おなかいたい」 2024年7月 パフォーマンス作品