《どこまでもおちてゆく》2026 パフォーマンス(樹、ホース、モニター、震え、暗闇、記憶)
“目を閉じたとき、人肌と山肌は等しく連なる。
瞼の裏の暗がりから、蝙蝠が颯爽と飛び立つ。
あなたは目を開けてはいけない。
きっと生首からタケノコが生えている世界に飛んでいくのだから。”
本作では、縦横約3メートルのピラミッド状の構造体の内部にソファーが置かれている。観客はそこに腰掛け、海の中を泳ぐ一人の男の映像を鑑賞する。
しかし、その空間にはもう一つの身体がある。
ソファーの内部には土が仕込まれ、その中にパフォーマーが潜んでいる。呼吸は、建物上部にある大きな袋から長いホースを通じて確保されている。観客の重みは、わずかに内部へ伝わる。
その存在は直接目にすることはできない。ただ、ときおり映像に現れる「目」が、誰のものであるのかは判然としない。呼吸の層は静かに重なり、かすかな音だけが空間に残る。
ここでは、快適さと他者は分離されない。
誰かが安らぐとき、別の誰かが呼吸している。
本作はすでに存在している連続を、わずかに知覚させるための試みである。
あなたが座っているその場所もまた、
誰かの身体の延長であるかもしれない。
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東京マラソンの33km地点で、私は走ることをやめた。目の前でゲートが閉まってしまったのだ。
足は動かず、呼吸は荒れ、悔しさと痛みのなかで収容バスに乗り込んだ。完走できなかったこと以上に、自分の身体がもはや意思だけでは動かないという感覚が強く残っていた。
隣に座っていた60歳ほどの女性が言った。
「今なら、年齢とか性別とか関係なく、この痛みは共有できる気がするね」
その言葉を聞いたとき、マラソンの本質は競争ではなく、「同時に身体を動かすこと」にあるのではないかと思った。
限界に近づいた身体同士が、互いを知らなくても同じ痛みや呼吸の乱れを共有している。そこには、言葉よりも先に成立する身体的な共感があった。
走れなくなった瞬間、他者との距離がわずかに縮まる感覚があった。普段は遠く感じられる他人の身体が、同じ重力と疲労のもとにある存在として立ち上がってくる。
この感覚が、本作の出発点となっている。
長距離を走るなかで、風景や身体は絶えず変化する。私たちはそれを「時間」という連続として捉えているが、実際には身体の変化と記憶の進行は異なる速度で進んでいる。
肉体はゆっくりと疲弊し回復するが、記憶や意識は瞬時に往復する。時間とは、こうした複数の速度の重なりによって構築されているのではないか。
本作品は、東京藝術大学と東京マラソン財団の合同企画「ランニングアーティストプ ロジェクト」において制作したインスタレーション作品である。同プロジェクトは、アー ティストが実際にマラソンを走ることで得た身体的体験を作品へと展開する試みである。
本作は、2026 年 2 月 26 日から 28 日にかけて開催された「東京マラソン EXPO2026」 (東京ビッグサイト第四ホール)にて展示された。
制作協力
藤原收望、石井奏士郎、須崎陽、森本直人