《僕が手を叩いたら月が壊れた》2025,(真竹 , ゴム , ロープ,土,炎,お茶), パフォーマンス
あなたが大きく肺に空気を入れる時。 僕は小さくお茶を飲む。
川はよい。川の周りには人の営みがある。色々な営みがある。
あらゆる行為の延長線上には、それらが収束すると同時に何かが再び立ち上がるだろう。
どうしようもないくらい平凡な毎日に身を埋めていると、その連関の中に生きているということを忘れてしまう。
お茶を飲むこととその器が壊れること、飛んでいって見えなくなったその先へと我々も飛んでゆく。行為の果て先にある極小の”予感”を立ち上がらせたくて今回の作品を制作した。
ともかく、因果や論理といった個別具体性という枠組みを越えたところで作品を作りたかった。唯一この作品の中で意識していたのは、利根川という身体に付随する一つの細胞のような意識で今回の作品を制作するということだけだ。
作品の説明:
取手芸祭(2025 “Student Group Exhibition” 先端芸術表現科学部二、三年年生合同成果展 東京芸大取手キャンパス(茨城県取手市))で展示した作品。廃材で作られた小屋が屋内に展示されている。その中に私はいる。そこに来た人と目が合った私は「お茶を飲まないか」と誘う。客人を森の中の竹で作られら櫓へと案内する。櫓の下には粘土で作ったかまどがあり、炎を燃やし茶を沸かし、粘土で茶碗を作る。
櫓の上で待っている客に茶を注ぎ、ゆっくりと一息つきながら風景を見る。櫓の床下から香る土と煙の匂いが風景を優しく包む。
そして、最後にその茶碗を櫓に設置してある大きなパチンコ台にセットし、人力で引っ張り上げ掛け声と共に空高く飛ばす。よく乾燥した茶碗は空中で崩れ落ち、細かな音を立てながら山中を駆け巡る。飛ばした茶碗の一部が下の沼で小さな島を形成し始めた頃、また新たな客人がその櫓に足を運ぶ。
屋内の小屋の中では、櫓から少しだけ見える利根川の源流に架けられた小さな竹の橋と、群馬県沼田市の古民家を舞台にしたパフォーマンスの舞台映像が流れている。