COVID-19編
COVID-19編
短編映像作品『怪物』は、COVID-19(コロナウイルス)によるパンデミック及びロックダウン下でポーランド留学中、私が抱いていた恐怖や焦燥感を表現した作品だ。実はこの作品が私にとって初めてとなる自主映像作品である。異国の地での疎外感や長期間に及ぶ自粛生活への苛立ちを何かに昇華しようとしたのがきっかけだ。なので、映像に利用した小道具や撮影場所は全て、当時生活していたホームステイ先の家の物や周りの場所で完結している。
私がこの映像作品を通して鑑賞者に問いかけたいことは「我々を救うものは何なのか?」ということだ。コロナウイルスは中国武漢を発生源とし、瞬く間に世界中に広がっていった。今となってはコロナウイルスとアジア人を結びつけ差別的な発言する人はあまり目立たなくなったが、ウイルス発生当初はアジア人というだけで、心無い言葉を浴びせる人々が大勢いた。幸い私は差別的な発言をされたことはなかったのだが、私の友人はアメリカでそういった発言をされたという。リアルタイムでそれを聞き、私は疑心暗鬼になった。街のスーパーに行くだけでも周りからジロジロと見られているような気がした。いつか見たアジア人暴行のニュースのように私はアジア人というだけで暴行を加えられるのではないかと恐怖した。その時が、私にとって人種間の距離を感じた初めての瞬間だった。それまでは、鏡がなけれが自分が何人だったということも忘れてしまうくらい、現地に馴染んでいた。というか馴染もうとしていたのかもしれない。「コロナウイルスのせいで人種間の距離を感じてしまった」当時の私はそう考えた。だが、実際はコロナウィルスがあろうと無かろうと、私はアジア人であることに変わりがない。そんな事実を気にもとめなかった私にとって、ある種コロナウイルスは自分を正当化するための「救い」だったのかもしれない。そう、コロナによってアジア人差別が生まれたのだと信じたかったのだ。人々は生きていく上であらゆるものに救いを求める。それは「宗教」であったり「薬物」であったり「愛」であったりする。この世の中のあらゆる事象は、密接に結びつき、相互扶助の関係にあるのではないか。これらのことを映像作品として表現したのが、まさに『怪物』である。
この立体作品『侍とHusaria』は映像作品『怪物』と同様、コロナウイルスによるパンデミック及びロックダウン下での私の考えが元となった作品だ。私は留学期間中、現地で柔道や空手を習っていた。現地の人々は皆親切だった。「武士道」という言葉があるが、まさに私が現地で出会った人々はこの言葉に相応しい人ばかりだった。「人を敬う」という精神は、どこへいってもあるものなのだ。ポーランドには昔「フサリア」という、日本でいう「侍」のような集団が存在した。彼らは翼のような鎧を背負った騎士の集団で、祖国を守るため勇ましく、勇敢に戦ったという。この話を、ポーランドの友人から聞いた時「侍」と同じようなものを感じた。祖国のために勇敢に戦った彼らにも、きっと侍のような武士道精神が宿っていたに違いない。だが時代は変わり、コロナウイルスの出現によってアジア人差別など、人々は「思いやりの精神」を忘れてしまっているのではないか。この、思いやりの精神がコロナウイルスによって蝕まれていく様子を柔道着、針金、羽、マスクを使い表現したのがこの立体作品である。フサリアの象徴である翼と、柔道着を組み合わせた立体がボロボロになっている様子は、まさにこの状況を表現している。