“創る”という行為の原点は何なのか
「身の回りにあるモノのほとんどは誰かが作ったものである」という現代社会に疑問を覚えた私は高校3年の夏休みの間、山伏の格好に扮し法螺貝を作り、山での生活を始めた。山では木を切り家を作り、焚き火をして生活した。そこでの生活はまさに現代社会に奪われた「創る」という行為そのものだった。だが、その生活も終わりを告げる。熱中症になってしまったのだ。嘔吐し泥まみれになり気を失いながらも真夜中に下山した経験はまさに「生と死」「人間と自然」の境を彷徨ったものだった。そして、私はこの経験を作品にしようと考えた。
死に物狂いで下山した登山道に傘を並べた。傘の 表面には当時の生活風景が写真として展示してある。 そして傘の中にはふたつの足跡の立体が設置してある。 ひとつは登山時の血気盛んな”人”として の足跡を針金で表現したもの。 もうひとつは下山時の自然と同化した”獣”としての足跡を苔と草 を使い表現したものだ。 それぞれの足跡が向く方 向も登山時と下山時を表すため逆になっている。
並べられた傘をたどると、頂上にある以前暮らしていた家に着く。それは私の墓だ。中には当時着ていた服や身に付けていたモノたち、その家での生活の様子が写真として置かれている。この作品は山を登りながら鑑賞するインスタレーション作品だ。登山者は傘の写真とその場所を重ね合わせながら一歩ずつ山を登ったり降りたりしながら1人の人間の生活を鑑賞する。
2021/09/04,インスタレーション(ビニール傘,写真,針金,苔,法螺貝)