記録写真
赤土ヘソノオドキュメンタリー映像(22分)
私はずっと血の繋がりという言葉が分からない。DNA鑑定の結果によって紐づけられた事実と言われればそんな気もするが、それだけではなんか居心地が悪い。自分の手のひらと母親の手のひらをナイフで切り開いて、比べてみたとしてもそこには痛みという共通項があるだけで、身体の痛みが共通項だとしたら、みんな平等にあるようでそっちの方が信用できるし、人類共通のDNAのようでもある。
私の祖父母が暮らす集落には”馬刺し峠”という峠道がある。村にはかつて多くの馬が生きていた。米を育てるのに役立つからだ。しかし、酷使しすぎると馬の脚に血が溜まる。その溜まった血をナイフで抜くための小屋があった場所こそ、その峠道だ。坂ををうねうねとした赤黒い血がゆっくりと流れている光景が祖父の語りから想起された。
以前その場所で“風の石”という作品を作ったことがある。その峠道の一角である竹林を開墾し、そこに眠る大きな石を御神体として祀った祠を作った作品だ。雑草を払うのも、低木を切り、竹を切り、地中に広がる根を掘り起こすのも全て家の納屋にある古く錆びた道具を使って行った。
夕暮れ時、竹の根を掘り起こすために、十数キロある金テコという鉄の棒をただ一心不乱に振り下ろしていた。その時、祖父がぼそっと言ったひと言が忘れられない。“お父さんも爺ちゃんもひいじいちゃんもそれを振り下ろしていた。表面の錆と農地は我々の血と汗で作られたんだ”。私はその言葉を聞いた瞬間、自分のヘソノオを生まれて初めてこの目で見た気がした。開拓し開墾するその道具に、覚えているはずももない母親の羊水の中で浮かび、母体と繋がる記憶が重なった。血の繋がりが地の繋がりによってあらわになった。
何か尖った物を土へ突き刺す。私はこの20年の間その行為を幾度ともなく繰り返してきた。ある時は、金属の農具であり、またある時は竹だった。”せっぺとべ”という鹿児島の祭りでは、大きな竹を全身で抱えて歩き回り最後に田んぼの中へと勢いよく突き刺す。この時も土地との繋がりを全身を持って体験した。
作品の中央には畑があり、鑑賞者は立体の中に座りロープに繋がれた竹を引いたり離したりすることによって、まるで餅つきのように中央の畑を耕すことができる。これは、自身の内部に広がる大地を肉体を限界まで酷使することによって把握し、その意識を今踏み締める大いなる大地のうねりとして捉えなおす、言うなれば鑑賞者の身体感覚を拡張させることを試みた作品だ。
赤土ヘソノオ 2023/12/11