《足のない人》2025,ミクストメディア( 粘土、アクリル絵の具、レジン、熊の毛皮), レリーフ25号
僕がここで生まれてここで死んでゆくのが、どうすることもできない現実だったらどうしようか。僕には翼がないから大空を羽ばたくことは叶わないし、エラがないから息継ぎをしないと生きていけない。僕が背負っている全てのパーソナリティは、僕と一緒に消えてゆく。ゆっくりと段々消えてゆく。
この作品は秋田にある尾去沢鉱山から始まった。この鉱山は奈良時代に発見され、昭和53年まで運用されていた。そして、人手不足などの理由で2025年度に閉園する予定である。坑道内には手掘りで掘られた通称”たぬき堀”という小さな坑道や、三菱によって掘られ、日本の高度経済成長期を支えた大きな坑道など大小異なる無数の坑道がある。全ての坑道の長さを繋げると青森から東京までの距離に匹敵するらしい。
そこを訪れ、坑道内の壁を触った。たぬき堀の坑道を見た時、ふと思った。祖父から父へ、父から子へとゆっくりと続いていく人の営みにこの鉱山は大きく関わっている。多くの人がそこで亡くなり、そこで生まれていった。麓で暮らす人からみてこの鉱山を含めた山々はどう写ったのだろうか。
ふと。土壁を触る。ぬめっとした感触と共に手にまとわりつく小さく黄色い土の粒子たち。生まれては消えていった営みたちの痕跡が確かにそこにはあった。皮膚の隙間から入る小さな、小さな粒たちと自分の身体が交わる。その瞬間、これで絵を描きたいと思った。
タイトルの”足のない人”は言い換えると、営みがその土地に強く根付き、歩くことすらできぬようなそんな厚みのある土着性を表現したものになる。
坑道内の粘土を採取し、絵画を制作した。完成したが、すぐに乾くと崩れおちた。本当の意味での完成はしないと思った。この絵画に永遠性をもたせる試みとして表面をレジン加工したが、何かがたりない。固まりすぎて、可変性を担保するモチーフがここにはほしい。崩れ落ちる絵画にはあった、けど今ここにはないもの。それは絵画の後ろ側の世界を想像しえる何かである。そこで絵画を破り、後ろから飛び出す自身の顔がイメージとして繋がった。FRPで成形した、自分のライフマスクと、最近群馬で経験した熊の毛皮のなめしだったり、その時猟友会のおじさんに頂いた熊の毛皮をライフマスクに埋め込んだ。固まるものと、決して固まり得ない生の象徴とが同居した。これで、ようやくこの作品は完成した気がする。最近経験した一連の営みの片鱗や当事者としての感覚のアーカイブ。それが、このレリーフ作品である。