蓑虫(ミノムシ)は身体に周りのモノを引っ付けながら自分の家をつくる。
私も蓑虫と同様に、あらゆる場所に住み、その周りにあるものだけで完結した生活を送ることにした。
そうする事で生活様式自体が独自性を持ち、普段曖昧であった自己のアイデンティティが徐々に空間として明確になっていくと考えた。
まさに、土地との関係性の中から自己を知る行為だと言える。
『透明な蓑虫プロジェクト』コンセプト
「水は同じ場所にずっとあると腐ってしまう」
この現象は人間でもあり得ることだ。居場所があり、安定しているからこそ、生活が規則的になり自分がまるで機械の一部であるかのような感覚になる。最近、私はこのことに悩まされていた。ついこの前完成した『切り株戦争』という映像作品。制作当初はしっかり自分自身と真正面から対峙し、一歩ずつ作品を作っていく感覚があった。だが制作から早数ヶ月が経ち、当初の自分に対してなんだか後ろめたい気持ちになっていた。自分の行為に対する説明ができない感覚があったのだ。つまり「何のために私は作品を作っているのか」と思ってしまったのだ。
そして事件は起きた。ある時、たわいもない事で祖父と喧嘩をしてしまい家を出ざるえなくなってしまったのだ。今まで私は祖父母の家に住み込みながら作品を制作していた。だから、この事件は私にとって「家」を失うようなものだった。居場所が安定しているからこそ、居場所が分からなくなっていた私にとって「家を失う」ことはある意味、自分の居場所を作り、土地との関係性の中から再び自分自身を見つめ直す良い機会だった。それから私は『切り株戦争』の舞台近くの山の中に自分の居場所を作り始めた。最初は簡易テントに住み、暮らすのに最適な場所を探しながら色々な場所を転々とした。このような経緯を経て扇尾を舞台にした『透明な蓑虫プロジェクト』という究極の自分探しプロジェクトが始まったのだ。
扇尾(おおぎお)という土地を肌で感じるため、私は『切り株戦争』で使用した舞台近くの山奥の中で、自分なりの生活を構築していった。水脈を探し、家を建てるのに適した土地を見つけ、低木や雑草を刈り、少しずつ家を作っていった。周りに自生している真竹や近くにある廃屋の一部など、最終的には切り株戦争の舞台の一部までもを取り込み、我が家はようやく完成した。生活に必要な食料は、ツワブキや菜の花、ヨモギ、ノビルといった野草が自生している場所を見つけ、毎回そこから必要な分だけ貰ったり昆虫や川魚を捕まえて食べた。扇尾の空気を吸い、扇尾の水を飲み、扇尾の土の上で寝る。そういった生活をしていく内に自分自身の身体さえも扇尾の一部へと変容していく感覚になっていった。
また、私の生活は常に作品未満のモノで溢れていた。あえて最終的な形を整えないことによって、より自分自身の創造的欲望や感情の起伏が直接的に荒削りのまま具現化された。その最たる例として、私が作ったこの家が挙げられる。私生活を軸に作られていったその家は、数々のエピソードを蓄積し、次第に私と扇尾との関係性を表す象徴的な存在へとなっていった。私はこの家を「扇尾ダイビング基地」と名付け、約2ヶ月間そこで暮らした。
生態系に 「上田平歩樹」の存在を組み込む
穴熊を殺す夢
夜歩いていたら偶然、穴熊を見つけた。追いかけ側溝に追い込んだ。どうしようか。殺して食べたいのだがどうしても一歩動けないでいる。普段慣れ親しんでいる民家の犬を何となく思い出し、余計に可哀想に思えてくる。殺し、食べることは人間のエゴなのだろうか。それとも山が私にくれた恵みなのだろうか。山菜だけの食事に満足していると言えば嘘になる。今は多少のお金がある。だから山を越えてスーパーの肉を買うことは可能である。どうしよう、どうしよう。ひとつの命が手中にある時、自分がこんなにも狼狽えるなんて思わなかった。
この前父と一緒にジビエバーガーを食べた。私の知らぬところで処理された鹿。殺すという行為の前には「可哀想」という感情がのさばり、食べるという行為の前には「感謝」と涎が同時に垂れてくる。肉を食べるという行為の裏には生命の生と死がある。頭では理解しているはずだが、肉の香ばしい香りの前に、いつもその事を忘れ、うやむやにしてしまう自分がいる。今回、自然と物事が転がってたまたま私のところへ生殺与奪のバトンが回ってきた。ピクピクと鼻を動かす穴熊をみると「害獣だから駆除すべきだ」という大義を振りかざす気持ちも失せ、純粋に生命の生と死に向き合う気持ちになった。「土地に住む」とはどういうことなのだろうか。時々自身の身体に無数の自然との関係性の糸が複雑に絡まりついていることを実感する。それは扇尾生活初日に、池の鯉を捌いた時から感じていた。「この土地で生きる」こととは、この土地の生態系の中に「上田平歩樹」という生き物の存在を認めること。生きる為に殺す。その生きるとは「生きながらえる」という、生命の身体的な持続性を指す言葉ではない。それは土地の中に自身の在り方を見出すという意味での「生きる」だ。色々思い悩んだが、やはり結論は出てこない。出てきたとしても、それは自分を庇う為の一時的なものに過ぎなかった。(扇尾ダイブ日記より抜粋)
扇尾での生活を終え、わかったことがある。私が当時「切り株戦争」を作ったのは「ただ作品化したかったから」ではなく「扇尾で生きたかったから」なのだ。つまり、扇尾で生きている全ての生物の代弁者として『切り株戦争』という作品を作ることこそが、私がその当時扇尾でできる唯一の生存戦略だったのだ。
切り株戦争×透明な蓑虫
数ヶ月かけて形成してきた、私と扇尾(おおぎお)とを結ぶ生活空間。その中でも、私が数ヶ月間生活した「扇尾ダイビング基地」は、家の構成要素として『切り株戦争』の要素を多く包容している。まさにこの場所こそが、映像の居場所であり、上映に最適な場所だと考えた。つまり、全く異なる『切り株戦争』と『透明なミノムシプロジェクト』という二つのプロジェクトが、「扇尾」という土地をきっかけに交わったのだ。
映像の鑑賞者にはその生活空間の新たな居住者として、一時的に山を訪れてもらう。私が本作品の鑑賞体験を単なる「鑑賞」ではなく「生活の中の鑑賞」と表しているのには、そういった生活者としての当事者意識拡大の意図がある。なかには、その土地で数ヶ月生活した私に対して多くても2日間程度しか滞在しない訪問者が、「土地で暮らす」という 当事者意識を獲得するのには少々無理があると考える人もいるだろう。だが「当事者意識」とは土地と個人との間に存在する私的な距離感のことではない。それはあくまでも、山小屋で上映される映像作品『切り株戦争』の鑑賞者という立場における当事者意識である。そして、単に映像を公開する以上の鑑賞体験を、山小屋空間を通して提供したいと考えた。 鑑賞者と自身との間に生じる距離を、場所の辺境性を利用し訪問者を限定することによって、限りなく遠いものから生活を共にすることで限りなく近いものにするというようなギャップの中に成立する、山小屋空間に対する心理的な依存効果を狙っている。訪問者が目的としている映像作品の鑑賞の機会を、あえて食事を共にしたり、薪拾いや山小屋の増築といった労働を共にすることで大いに焦らす。ついつい訪問者は、生活の一部を追体験することにより、何が目的でこの地を訪れたかを忘れてしまう。そうなってようやく映像は上映される。映像では、切り株戦争本編の前に私が山小屋を建てる過程の記録が流れる。その一部には以前訪れた訪問者の滞在時の様子、特に家を作る行為の映像が含まれている。つまり訪問者が増えると共に映像の尺も長くなっていく仕組みだ。そして最終的に訪問者は、作品や家の一部として機能するようになる。こういった仕組みや映像の構成によって、訪問者は限りなく制作者に近い当事者性を獲得した状態で映像を鑑賞することができると私は考えた。