構想(体験と衝撃)
構想(体験と衝撃)
今回舞台となる場所には、つい数ヶ月前まで沢山の木々が生い茂っていた。だがある時、いつも のようにその場所を訪れてみるといつの間にか木々は切り倒され、切り株だけの殺風景な光景が 広がっていた。子供時代から慣れ親しんでいた場所の、変わり果てた姿に衝撃を受けると共に この扇尾の土地も少しずつ変化しつつあることに気づいた。 例えば最近、よく道端に沢山の杉の丸太が積み上げられている光景を目にする。どうやら、ウク ライナとロシアの戦争やが激化すると共に木材の輸入が滞ってしまい国内産の木材の需要が高 まったことが原因らしい。色々な視点からこの切り株だらけとなった山肌を眺めていると、この 世界は単純化できない難しい問題が複雑に絡み合ってできていることに気付かされた。 見慣れた風景が変化することに寂しさを感じつつ、その切り株達がいる場所を歩いたことがあ る。
驚いたことに、そこには沢山の命が芽吹いていた。 切り株の間から、岩と土の僅かな隙間から、新芽達は逞しく成長していた。大木が無くなり空が 開け、日光を十分に取り入れるようになった新芽達はとても生々していたようだった。また切り 株たちは徐々に腐り、分解され、土に栄養素として溶け込んでいく。 「樹の死」の裏には「樹の生」があったのだ。
この、”死と生の循環”こそ本作品のテーマだ。 そこで、今作では先程述べた”死と生の循環”を”人が闘う行為”の中で表現する。具体的には格闘の 痕跡を残す役割の塗料を山の上から下へ、下から上へと循環させる。そこで行われる格闘のパ フォーマンスはどれも”樹の死と生”を”人間の死と生”というメタファーで表現しようとした。
実験(ドローイング)
ドローイング(線画やデッサン)を複数枚描き、作品の構想を練る。その間、表現したいこと(コンセプト)をどのような手法で実際に作品としていくかを明確にしていった。結果的に斜面の上と下で塗料を循環させ、その中で「死と生」を表現するようなパフォーマンスを主体とした映像作品を制作することになった。
実験(マケット)
舞台制作に取り掛かる前に色々な試作を行った。これは、斜面上に設置する竹タンクの実験風景である。竹の中は空洞なので、中に塗料を溜め位置エネルギーを利用し塗料を噴射しようと考えた。
竹切り
集落の放置竹林を周り、緑竹や孟宗竹、真竹といった種類の竹を伐採し現場に運んだ。おおよそ120本弱を数日間に分け、伐採した。中々に骨の折れる作業であった。
ただ、私の中でこの竹を伐採するという過程はすごく重要だ。なぜなら、竹が植物から素材へと変容していく様子を身をもって体験することができるからだ。手ノコギリのギザギザの刃を竹にたて、少しずつ削っていく。ノコギリを動かすと共に竹粉が出やがて竹は綺麗に両断され植物としての「竹」ではないまた別の「何か」へと変容していく。この過程は自分自身が作り手であり、素材に意味や価値を見出す存在だと再認識することができる。
素材についての説明は以下をご覧ください
制作開始
約2ヶ月間をかけ舞台制作を行う。
プロジェクト発表会
作品制作に協力してくれる方を募るため、作品の概要を説明する説明会を集落の集会所で開催した。この説明会は日置市地域つくり課の重水さんの提案で開催された。また、日置市の町おこし団体「カメカメ団」の協力もありプロジェクトは地域振興の文脈でも進んでいくことになる。当日は悪天候ながらも20人弱が足を運んでくださった。やはり実際の舞台を前に説明する機会はとても貴重で、私の作品に対する情熱が少しでも伝わってくれたら幸いである。
今回の取り組みを日置市のローカルwebページ「ひおきと」でも取り上げていただいたのでそれもあわせてご覧になってほしい。
撮影当日
協力者の1人と当日突然連絡が取れなくなったり、前日降った大雨の影響で地面がぬかるみ、予定していた時刻までに舞台の準備が整わなかったりといったハプニングに見舞われたが、どうにか一日をかけて無事撮影を終えることができた。監督として指示不足な面もあり自身の能力や役割に対する見方も変わったが、協力者の優しさに助けられた。「塗料を使った撮影なので再撮影する場合は替えの衣装が必要だ」という学びから分かるように、演者の演技が始まれば常に舞台は変化していく。だからこそ、段取りや効率よく撮影していく下準備がいかに撮影にとって重要かを学んだ。また、チームプレーの場合、負担になり過ぎる仕事は仲間に任せるという、自分の能力を客観的に見る力も大切だと気づかされた。
編集作業を終え、ようやく『切り株戦争』の映像が完成した。映像を作ったからには、どのように上映するかを考えないといけない。まず最初に思い浮かんだのはYouTubeの存在だ。動画をアップロードするだけで、世界中の人々に『切り株戦争』を共有できる。だが私はそこに違和感を感じた。「映像がデータとして扱われること」に対する懐疑心があったからだ。データとして切り株戦争を見せることは、映像を撮影するにあたって発生した、背景にある関係性や変化の様子を省略してしまう行為なのではないのか。
例えば、舞台に使われた建造物は今もなお、徐々に朽ちながら扇尾の山の中に存在している。竹の中には小さな幼虫がモゾモゾと動き回り、その構造物は自然における生と死の象徴的な存在として私の奥底に存在する。映像はレンズを通して空間を切り取るからこそ、レンズ外で同じ場所に変わらず存在するものに目を向けること(気づくこと)ができない。つまり映像の画角の外に切り取られ排除された風景(自然)の移ろいや、儚さの連続性は見えづらいのかもしれない。映像を撮る行為は、ものごとを切り取るという暴力性を孕んでいるのだ。
映像を構成する要素が細かく散りばめられたような、「この場所だから、この映像を上映するのだ」という大きな情熱がこもった場所に私は映像をインストールしたいと考えた。一方で、映像の居場所を探す前に、自分自身の居場所が分からなくなっていく感覚があった。特に作品を作り始めた当初の自分に対して、分からなさを持つようになった。
「何の為に作品を作っていたのか」「扇尾の何を感じとったのか」
コンセプトとして言葉では説明できるのだが、それはあくまで文字の羅列に過ぎない。このことについて本当に理解しない限り、到底『切り株戦争』の本質を見極め、この作品が何処で上映されるべきなのかを導き出すことができない気がした。そこで私は新たに考えた『透明なミノムシプロジェクト』を通して、扇尾という土地と私との関係性を再び理解しようと考えた。